ドゥカティ デスモドロミックエンジンの歴史2
さて、前回に引き続き
ドゥカティ デスモドロミックエンジンについてお話していきます。
デスモドロミックエンジンって皆さんなんとなくわかってきたのではと思います。
ドゥカティが現在までこだわってこのシステムを採用しているのは何故か。
一般的なレシプロエンジンで用いられるバルブスプリングを利用したバルブ機構では、エンジンの回転速度が速くなると、バルブが完全に閉じることができなくなる「バルブサージング」と呼ばれる現象が発生してしまいます。
こうなると、いずれの現象も燃焼室内の圧縮効率を低下させ、スムーズでパワーのあるエンジンを作ることが出来ません。
そのため、ドゥカティは、このデスモドロミック機構を使用して、エンジンの高回転化やバルブ開閉の高効率化を追求し、2気筒では恐ろしいくらいのスムーズなエンジンを作っています。
そして、ドゥカティの歴史の続きを見ていきましょう。
1956年
ドゥカティのタリオーニ技師は、ベベルギアと垂直シャフト駆動トリプルOHCデスモドロミックタイミングシステムをグランプリ用125に初めて搭載し、デリ・アントーニがそのデビュー戦スウェーデンGPで優勝しました。
この時から、デスモドロミック史はドゥカティ独自のものとなりました。
1968年
市販モデル初のデスモモデルは、マーク3デスモ250及び350。このモデルは、現在の2気筒(2バルブ)エンジンと基本的に同じタイミングシステムが搭載されていることからも、いかに技術的に優れていたかが窺えます。
1972年
初代デスモシステムを搭載したマシンが、1972年イモラ200マイルに出走し、ポール・スマートによる輝かしい勝利を受け、2年後750 SSデスモが登場しました。
この750 SSデスモは2気筒デスモ初市販モデルで、モーターサイクル史上最も美しいバイクとして知られています。
1987年
ルッキネッリが、4バルブ空冷850ccの試作車に乗り、BoTTデイトナで優勝を飾りました。そしてデスモがスーパーバイクでの大きな成功を掴む時代、デスモ現代史が始まったのです。
1988年
デスモクアトロが遂に世界モーターサイクルエンジニアリングの最高峰モデルとして登場しました。1気筒につき4バルブデスモエンジン搭載の初市販モデル851 SBKが発表され世界を震撼させました。
1994年
そしてこの年、マッシモ・タンブリーニ技師により、驚異の916の誕生と共にドゥカティのモータースポーツ現代史が始まりました。
ドゥカティはスーパーバイク選手権でワールドチャンピオンのタイトルを連続で取得しドゥカティの代名詞になりました。
2000年
4バルブ2気筒のさらなる進化モデルが、20世紀最後の市販トップモデル996 Rに搭載され、タイミングシステムが再設計したことにより、136馬力 - 10,200rgm、101 Nm - 8,000 rpmを実現。
とまあ、我が愛機「996」までのデスモドロミックエンジンの歴史を簡単にご案内しました。
また、機会があれば、ドゥカティの違った歴史をお話いたします。
では、(@^^)/~~~